合宿免許のご提供を開始

絵で見ただけではどうしても承知できなかったのである。 そこで私はあれこれと作戦を練った。
父にせがんだところで、どのみち許してもらえそぅもないと悟った私は、家族の目をぬすんで、そっと「金二銭也」をせしめ、資金はこれで充分だと考えた。 あとは決行あるのみ、というわけである。
学校は休むことにした。 あとは父や母、祖父の目から、いかに盗塁するかというだけであった。
その日私は何食わぬ顔で自転車をもち出し、一気に浜松、向かってペダルを踏み出した。 小学二年生の私には、まだ自転車のサドルにちゃんと尻をつけて乗ることはできなかった。
「三角乗」というやつで、横から片方の足を三角に突こみ苦しい姿勢でペダルを踏む、あの乗り方しかできなかった。 だが、私はもう夢中であった。

連隊に着いたときは、もう憧れの飛行機が間もなく見られるというので、私の胸は全くいいようのない嬉しさでいっぱいになっていた。 ナイルス・スミスというグライダーに簡単なエンジンをのっけたような、まことにチヤチなものであったが、さて入場となると練兵場には塀がめぐらされていて入場料をとっている。
もちろん、入場料をとられることは予想していたが、二銭あれば大丈夫と考えてきたところが、十銭(十銭くらいだったと記憶している)もとられることがわかり、私の小さい胸はふさがれてしまった。 私はあきらめなかった。
ふと目についた松の木にのぼって見たい一念をとげることにした。 私は周囲に気を配と松の木にのぼった。
下から見つけられないように、枝を折って下のほうを遮蔽した。 それで実際にはどうということもなかったのだが子供心にも万全を期したわけである。
こうしてやや遠目ながらも、私はナイルス・スミスの飛行ぶりに感激すると共にガソリンの匂いを満喫したのであった。 帰途、私の踏む三角乗るペダルの足は軽かった。
スミス号の飛行士がハンチングのツバをうしろにまわして飛行眼鏡をかけていたことを思い出した。 また非常に男らしく見えたのであった。
ペダルを踏みながら、私はいつの間にか、学帽をうしろ向きにかぶっていた。 こうして飛行機にも負けないスピードをペダルに託して、私は疲れも知らず、約二十キロの田舎道を突っ走った。
「飛行眼鏡がないのが残念だな」と私は考えながら、矢のように自転車をとばして、やがて家、たどりついた。 家、入ったとたんに、父の怒声に見舞われたことはいうまでもない。

その父の怒声も私の弁明を聞くとにわかに虚ろになった。 「お前、ほんとに飛行機を見てきたのか」父自身ひどく感激してしまったからであろう。
そのときから、私はなんとしても飛行士がかぶっていたような鳥打ち帽子が欲しくてたまらない。 ついに、父に鳥打帽をせがみたおして自分の所有物にすると、今度は飛行眼鏡が欲しくなった。
こればかりは田舎ではどうしても手に入れることはできなかった。 やむなく私は生来の器用さを生かして、ボール紙製の眼鏡で我慢することにした。
それでいっさいの準備ができた。 私は鳥打帽のひさしをうしろにまわし、ボール紙の飛行眼鏡をかけて、朝に夕に、飛行士気取りで得意になって歩きまわった。
ついには竹製のプロペラを自転車の前にとりつけてまさに天空をかける心地で、自転車を乗りまわしたものであった。 三年四年と学年が進むにつれて、私の悪戯はいよいよはげしくなった。
あるときは職員室に飼ってある金魚が、全部赤いやつばかりではないというので、そっと職員室にしのびこみ金魚鉢をひっかきまわして一尾ずつとく出し、青や黄のエナメルを塗って金魚鉢に入れ、校長先生に見つかり大目玉を食ったこともあった。 また、たぶん五年生のときだったと記憶しているが理科の時間のことであった。
ほかの学科にはほとんど興味を感じなかった私だったが、理科だけは好きであった。 したがって先生の知らないことまで知っている場合がよりあった。
そこであるとき、私は前もって磁石入れの磁石をこつそくと取りはずしておいて、いよいよ理科の時間になったとき、先生が失敗するのを見て内心大いに気をよりしていたものだ。 そうして実験が失敗に終わってから、先生が職員室、帰ったあとを見澄まし今度は俺が実験するからとクラス・メを集め磁石をもとにかえしてうまいぐあいに実験して見せると、みんなは拍手喝釆、そのときの私の得意な顔はご想像に任せよう。
以来手のこんだ悪戯は「また宗一郎がやったね」ということに決まってしまった。 こうした悪戯ばかりでもなかった。
六年生のときだったと憶えているが家にあるいろんな古材を利用して、蒸気機関をつき、「さあ、いまからまわしてみせるからく」と学友や先生の前で見事にまわして拍手喝乗をうけたこともあった。 思い出の大部分は悪戯によって占められている。
こんなこともあった。 勉強の嫌いな私は教室を脱け出し裏山、のぼって遊んでいた。

遊んでいるうちに私の腹時計はもうとっくに正午をまわり、耐えがたい空腹を感じはじめた。 そこで私は、毎日、正午を知らせる寺の鐘が近くにあったことを思い出し鐘楼にしのびこんで正午の時報を打ち出した。
これで学校の時計はもちろん、村じゅうの時計が私の腹時計なみに早くなったわけで、私は家、飛んで帰って昼飯を食ったことはいうまでもない。 これも私の仕業とわかり、さんざんなお叱りをうけた。
家、帰れば帰ったで、悪戯のタネには苦労しなかった。 いまでも忘れられないのは、隣の石屋さんでの悪戯だ。
前々から私は隣家の石屋さんがつくつている石地蔵の鼻の恰好が気にくわなかった。 俺ならこう彫るのだがという気持ちが、石地蔵を見るたびに起こるのだった。
その欲望がとうとう我慢できないほどふくれ上がったのである。 父が仕事場にいない隙を見計らって、私はそっと金鎚をもち出し、隣家の一隅においてあった石地蔵にしのびより、自分の頭のなかに描かれている地蔵の顔に彫りなおそうと金鎚をふるいはじめた。
意外に石は硬く、私のイメージ通くにはならない。 コツコツとあちこちいじりまわしているうちに、ポロリ鼻が欠け落ちてしまった。

これには私もびっくりして逃げ出したが、「こんな大それた悪戯をするやつは、宗。 郎にきまっている」と衆目の一致するところとなく、ついに私は犯人と指名された。
そうなっては逃げることもごまかすことももう、不可能である。 目の玉が飛び出るほどどなりつけられたことは、もちろんである。
私の少年時代にはこのような悪童行為のほかにはほとんど何もないといっても過言ではなさそうだがその間にあってただ一つ、私がやくつづけたことは、機械をいじくりまわすことと、「立川文庫」を耽読したことぐらいであろうか。 当時、そういったいわば手のつけられない悪童であった私を完全に魅了したものがあった。
自動車という近代文明の生んだ動く車であった。 たぶん、小学校四年生ぐらいのときであったと記憶している。
私の村にはじめて自動車が現れ、青白い煙を尻からふき出しながら、悪魔のように村を通過していったのである。 私はそのあとについて走りながら、ガソリンの匂いをかいだ1瞬気が遠くなるような歓喜にとらえられた。
そのたまらない芳香は少年の私の鼻孔を刺激し、私はその日から自動車にとくつかれた亡者みたいに村、自動車が入ってくるたびに、そのあとを追いかけまわすようになった。

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